(通称)野育の会へようこそ!
国内初の常設の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」で、日本で初めてのプレーリーダーとして活動を開始。プレーリー(プレイワーカー)養成プログラムの開発、実施のほか、日本初めてとなる子ども専用相談電話「せたがやチャイルドライン」の開設にあたる。「日本冒険遊び場づくり協会」評議員、「プレーパークせたがや」理事、「フリースペースたまりば」理事、2017年に遊びに関わる人材の育成を目的とした一般社団法人日本プレイワーク協会を立ち上げ理事を務める。著書『子どもはおとなの育て親』ゆじゅんと『よみがえる子どもの輝く笑顔』すばる舎『「遊び」の本質』ジャパンマシニスト社
日本初の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」の40年以上前の初代プレーワーカー。ある日「アマノ、お前はどんだけ自分が幸せだかわかってんの?!」と高2の女の子に叫ばれそのあまりの唐突さに「んん?どういうこと??」と聞き返した。そうしたら「あたしたちの最高の笑顔をいっつも見られてるんだよ!!」ときた。「あたしたちの最高の笑顔!自分で言うか?!」と思いつつ、その破格の自己肯定感こそがうれしかった。「遊びたい!」は「育ちたい!」と同義語であることを広めることが僕の至福の遊び。呼んでください!どこにでも行きます!!
宮崎県都城市乙房こども園園長。他業種で働いていたが、平成17年に前園長である父が現職中に他界し、事業を承継するために入職。保育現場での“あたりまえ”に疑問をもちながらも日々の業務を“こなす”毎日を送る。
先代が野中保育園との出会いをきっかけに目指した“子ども主体”と実際の保育の乖離に“どげんかせんといかん”と感じているところに“野育の会”と出会い、“川和保育園”と出会い、「こんな保育があるのか」と衝撃を受け、「保育を変えよう」と心に決め、職員・保護者と共に改革を行いながら現在に至る。
2歩進んで3歩下がる。あれ?ということもしばしば。失敗の多い園長であるが、本人はいたって真剣。野育の会の良さは“繋がり”にあると思っています。一緒に前に進んでいきましょう。
東北文教大学(山形県)准教授。里山保育(森のようちえん)の普及や、市街地でも積極的に自然体験を保証できる保育者の養成を目指している。大学生に加えて保育職を目指す高校生を対象に、園庭・園外での環境を通した保育の魅力を発信するセミナーも会員園の協力を得ながら実施している。当会以外では、NPO法人青空保育たけの子(福島の子どもの外遊びの保証)、社会福祉法人三瀬保育会(鶴岡市)の理事を務めている。
大学のサークルで「乾孝幼児教育論」に出会い、乳幼児期は面白いと思い保育士資格を取得。保育園に勤務後、野外活動を多く取り入れた自主学童「おひさま学級」を主宰。「子ども家庭支援センター」相談員を経て、25年ぶりに園長として保育現場に復帰。着任3年後公立保育園の民間委託を受け「西池袋そらいろ保育園」園長。2017年3月そらいろ保育園を卒園。出産、育ちあい、そしてこの世とのお別れ迄、一生の中での子ども時代を捉えたい。「つながっている命」とかかわるあらゆる専門職のネットワークが今こそ必要と思っている。
大分県大分市明野こども園園長。平成2年26歳の時に桃園保育園の園長に就任し、平成27年の制度改革の際、ももぞのこども園に変わる。令和5年度より法人内の明野こども園の園長に就任し、現在にいたる。30年間園長としてやってきたが、30代から保育を変えたいと思っていながら、なかなか理想の保育にはたどり着けずにいた。8年前の2012年に川和保育園の寺田園長に会い衝撃を受けて、保育環境を見直し、野育の会の前身の「園庭長セミナー」で天野秀昭氏の講演を聴いて「遊び」の重要性を知り自分も園庭長として保育環境を変えてきた。センスオブワンダーの「知ることは感じることの半分も重要ではない」をもっと保育のモットーとしている。
第11期から野育の会理事に加わらせていただくことになりました浅井正信と申します。東京都葛飾区にある幼稚園の園長です。趣味はロードバイク🚴と田んぼ活動、焚き火です。幼少期は静岡県の伊豆で自然たっぷりな山の中で育ちました。家の風呂は五右衛門風呂で、火を燃やすことは生活の一部でした。子どもたちにデジタルよりもアナログな体験をさせたいと思っています。
野育の会との関わりは、野育の会が発足して半年くらい経ったときにその存在を知り、川和保育園でおこなわれた研修会に参加した時からご縁がはじまりました。
川和保育園をはじめ、北海道から九州、沖縄いろいろな園を知り、園庭を訪れる中で、日本中の熱い人たちに出会いました。これからも色々な園、保育者に会い学んでいきたいです。どうぞよろしくお願いします。
西池袋そらいろ保育園園長。公立保育園保育士として18年間、パート保育士として4年間の経験を経て2014年にそらいろ保育園に入職。環境整備はもちろん、それらに関わる人々との関係性の奥深さに衝撃と感動と心地良さを感じたことが、第二の人生の幕開けと考えている。「野育の会」とのご縁もこの時から。2017年に園長就任したことで自分と向き合い“自分らしさ”を確立(と思っている)。心で子ども理解を深めるには、子どもと関わる自分が自分(の感情)を知り、受け容れてあげることが必須。all good!all okay! この言葉が私を幸せにし、幸せのお裾分けができると信じて生きている。
1991年栃木県宇都宮市生まれ。
子どもの声に基づきながら、子どもが遊び育つ屋外環境づくりの実践・研究を行っています。2023年、1児の父に。
日本体育大学子どものからだ研究所助教。博士(農学)。
著書に『子どもまちづくり型録』(鹿島出版会)『水辺のプレイフルインフラ―子どもが遊びを通じて自ら学ぶ』(技報堂)など。IPA日本支部運営委員、特非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会情報研究センター主任研究員、特非営利活動法人そとぼーよ理事など
1997年に羽根木プレーパークの運営に参加(世話人)し、2年後に会長となる。以来。同時にPTA役員、世田谷区の体育指導員、青少年委員、青少年地区委員会会長などを歴任。NPO法人日本冒険遊び場づくり協会、認定NPO法人プレーパークせたがや、一般社団法人日本プレイワーク協会等の立ち上げにも参加。役員も務めた。世田谷子どもいのちのネットワーク・プレーパークせたがや・日本冒険遊び場づくり協会にて監事を務める。民生委員、社会福祉協議会推進委員、町会役員。
“たいへんなことが なんどもあった そのあとで 楽しいことがおこる“
“勇敢さや大胆さは 初めから何も恐れないのでなく 恐れを抱きながらも 前に進む事で 獲得していくものだ”
川和保育園の園庭・園外保育は、上記の言葉をポリシーにして作り上げている。
子どもたちは、苦難の中にどれだけ豊かなものがあり、素晴らしいものがあるか、自分を充実させてくれるものがあるかを知らない場合も多い。それを子どもに経験させていく事は周りにいる大人の務めだ。 野育の会に関わる大人達よ、それぞれの子どもとの関りの中で、実践あるのみ!!
神奈川県横浜市「社会福祉法人共に生きる会」川和保育園前園長。「野育の会」の創設メンバーとして尽力し、2020年度総会にて当会理事を退任。「自分で考え、自分で遊べ子ども達」を指針とし、園・子ども・父母の連携により四季折々の行事を催す。ユニークな園庭保育・園外保育を展開し独自の園文化を創造する当園には、全国から見学者が訪れる。NHKスペシャル「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ~遊具プロジェクトの挑戦~」(2007)『ふってもはれても』(新評論)がある。
事務局長 :小林樹
組織管理 :小林樹
会計担当 :岩谷樹
事務局補助:岩谷樹